25th
個人の成績に基づいて給料を決めるという事は、従業員を競争させたら、皆一生懸命働き、組織としての生産性は向上するはずであるという前提に基づいている。
しかしながら、80年代に国家的破綻に直面していた米国を再生させ、国際競争力を世界一に押し上げたデミンググループは、80年代の終わりに既に個人の業績は測れないという結論を出した。
デミング博士はじめ、デミンググループの指導者の多くは統計学者である。つまり、測るという事を専門とした世界最高峰の人たちである。その人達が、成果の80%は皆がかかわり合った結果であって、環境から独立した個々の人間の成果として判別できるのはごく一部であるという結論に達したのである。
人間を評価するという事は、非常に多くの場合において相対評価の形をとらざるを得ない。なぜなら、ほとんどすべての人はお互いに異なる仕事をしていて、同じ状況下で全く同じ仕事をするという事は極めて少ないので、何か絶対的尺度があって業績を図るという事がほとんどの場合において不可能に近いからだ。
組織がチームプレイである以上、点を取るためには、犠牲フライや犠牲バントがあり、皆がホームランを狙う事は出来ない。野球では、これらは全体に貢献する役割として、評価される。企業には、自己の業績を犠牲にして評価されるシステムはない。しかも原資は限られているので、結局はそれをどう分配するかという問題に帰結するであろう。
あなたが平均以上の成績だったのは半分の平均以下の人々のお陰である:日経ビジネスオンライン
ごもっとも。
また、このように個人評価ができないとくると、ドキュンな経営者や人事ほど、人事コンサルに言われるがままに安易に個人評価シートや360度評価とかを社風に関係なく導入しがちだよね。
報酬を売上連動にしたって、会社が損失を出したからお前の給料はなしというか逆に払え、というわけにもいかないし、そもそも賃金は下方硬直性を持っているし。株式市場が上向いているときは、株式やオプション付与によって会社の業績向上という共通の目的にインセンティブを持たせることができたけれど、過度にそれに誘引されると、エンロンやワールドコムの事件のように、長期より短期だけを目指すズルが大々的に行われるし、そもそもが日本では株式市場は何十年もダメダメなカンジだし。
ワケマエをどうするかというだけに難しいね。
(via kashino)(kashinoから)
80歳くらいの年配の紳士が指の抜糸をしてもらいにやってきた。
彼は9時に約束があって急いでいたので私はすぐに診察することにした。
傷を診てみると、もうほとんど治癒状態で私は抜糸をすることにした。
傷の処置をしながら、なぜそんなにお急ぎなのですか、と訊いた。
老紳士は、老人ホームの妻といっしょに朝食を摂ることになっているんです、と答えた。
彼の妻の健康を尋ねると、認知症で老人ホームにすこし前から入居しているんです、と言った。
それでは遅れると奥さんが困りますね、と問うと、
老紳士は、妻は数年来もう私のことが分からないのです、と答えた。
「もうあなたが分からないというのに、あなたは毎朝奥さんのところに行かれるんですか?」
紳士は私の手を軽くたたいて微笑んで言った。
「妻はもう私のことが分からないですが、私はまだ妻のことが分かるんです」